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熊野で起きたプチ奇跡のメモ

これは、基本的には自分へのメモ用に書く記事です。忘れないようにしようと思って。
でも、もしかしていつか誰かの役に立つかもしれないので、
ここに書きとめておくことにします。

 
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今回の旅で一番強烈に印象に残ったのは、
熊野本宮大社大斎原(おおゆのはら)に行ったときのことでした。
たぶん僕は、この体験をするために、今回熊野へ来たんだろうな、と思えるくらい。

 
 
熊野本宮大社へは、僕は、1泊2日で歩いて行きました。
紀伊田辺辺りから本宮への道は、「中辺路(なかへち)」と呼ばれています。

この中辺路は、その昔、「熊野の聖域」と捉えられていました。
熊野は「浄土」つまりあの世であり、
本宮へ参るということは、儀礼的に、一度浄土への道を辿って(つまり死んで)再び現世へ戻ってくる、という意味があったそうです。
昔は、本宮へお参りする人は、ここで修験道者に教えてもらった、
食べ物や立ち振る舞い方、話し方などを守って、残りの道を歩かなくてはいけませんでした。
(詳しくはこちらをご覧下さい)

つまり中辺路は「祈りの道」。
そうして長々と歩いて、ようやくたどり着く本宮。
上皇でさえ泣きながら拝むほど、感動的だったそうです。

だから道ごと世界遺産に登録されているんですね。

 
中辺路は、ハイキングと本格的な登山の、ちょうど中間くらいの険しさだとのこと。
僕も当時の気持ちを少しでも追体験すべく、歩いて行くことにしました。

 
Nakahechi2006053101実際の中辺路は、峠が多く、アップダウンが多いルートでした。
道幅は狭く、シーズンオフだったで、歩いているのは僕1人だけでした。
下手すると100mおきくらいに生態系(木や草、コケの種類)が変わるほど、
複雑で多様な自然でした。とてもリラックスできる、美しい景色でした。

 
Irori20060531021日目はのんびりと10時から18時まで歩いて、
とがの木茶屋という民宿に泊まりました。
街の生活ではまず味わえないような、虫の声しか聞こえない静けさの中、
1人で、囲炉裏で鹿肉の刺身などを食べて、とても贅沢なひとときを過ごしました。
もちろんすぐそばにある野中の清水もペットボトルに注ぎました。

 
2日目は、8時ごろに出発しました。
途中までは、とてもいい天気で、誰もいなく、道も快適でした。
見渡す限り山々と木々しかないような、ものすごい山奥を歩いているときなどは、ひしひしと、
「ああ、すっかり人間界から遠ざかってしまった。この辺でヒトは僕1人だなあ」
ということを感じました。
でもそれは怖いものではなく、
むしろ周囲の草木や虫、動物たちと同等になったような、
親近感が湧くような、そんな気分でした。

こんな優しい自然の中を歩いていれば、
誰だってアニミズムに気づくだろうし、
本宮に着くころには、すっかり静粛な気持ちになっているだろうってもんです。

 
 
Nakahechi2006053102ところが……
2日目は、途中から、激しい雨が降ってきました。
待ってればやむかと、しばらく雨宿りをしていたのですが、
一向に雨は弱まる気配を見せません。

仕方ないので、雨の中、歩き出しました。

雨の中辺路は危険です。
坂が多く、石畳も多いので、滑りやすくなっています。
周囲に人の気配は全くなく、もしこんなところで怪我して動けなくなったら、
助けを呼べずに死んでしまうかもしれません。
だから、慎重に歩を進めました。

慎重に歩いているので、どうしても歩みが遅くなります。
刻々と、日没が迫ってきました。
こんな、誰も知り合いのいない、大雨の山道で日没になったら、かなり凹みます。
どんな危険があるのかすらよく判りません。そういえば先日、この辺で熊が出たとか。

歩いている途中、急に携帯が壊れました
あらゆる操作を受け付けず、ひたすらバイブが振動し続けています。
これで、電波があるところで、泊まる予定の民宿なり警察なりに電話してヘルプしてもらうこともできなくなりました。

大雨は続いていて、あらゆるところがズブ濡れです。
もう6時間くらい注意しながら歩き続けていて、疲れました。
日はどんどん暮れていきます。

ふと、民家のある一帯に出ました。近くにバス停が見えます。
バスは3時間に1本くらいしかないみたいですが、どうやら最終はまだなようです。

どうしよう。このまま今日はバスに乗って民宿まで行こうか。
それとも気合を入れて本宮まで歩こうか。

僕は後者を選びました。歩いて本宮まで行かないと、この旅の意味がないではないか、と感じたのです(※ 山は危険ですので、くれぐれも何か理由がない限りは、僕と同じ行動は起こさぬようお願いします)
バス停を通り過ぎ、再び山の中に入っていきます。

歩き続けます。もう8~9時間は歩いています。
かなり日は暮れました。
疲れました。

 
Hongu2006053104そして……とうとう本宮にたどり着きました。
熊野三山の中心で、全国に3000社以上ある熊野神社の総本宮。
熊野神社のシンボルである「3本足のカラス」八咫烏(やたがらす)のマークが、目を引きます。
そういえば八咫烏は、サッカー日本代表のシンボルマークにもなっていますね。
本宮本体は、伊勢神社と同じように、古色蒼然とした、威厳のある建物でした。
屋根は檜皮葺きといって、ヒノキの木の皮を何重にも重ねたものだとか。

大雨の中、いるのは僕1人だけでした。

さて、これからどうしよう。
民宿までは、大日越といって険しい峠を1時間かけて超えるか、または街灯のない林道を延々と歩かなくてはいけません。
どっちも、道はよく判っていません。あと10分くらいで日はすっかり暮れるでしょうから、道を間違える可能性も大いにあります。
とりあえず、バスがまだあるか調べないと、可能性は低いけど。
いざとなったらどこか家を見つけて転がり込んで、民宿に電話して、車で迎えに来てもらうか。
それともあとひとふんばりして、何時間かかろうとも民宿まで歩こうか。
神社の軒下を借りて、雨の中、野宿しようか。

 
 
……と、急に、浴衣姿の老夫婦が本宮にやってきました。
この天気の中、不思議な時間に、不思議な格好。
何か助けになるかもしれないと思い、話しかけました。

すると……
……なんと……
この老夫婦は、僕と同じ民宿「湯の谷荘」の宿泊客だったことが、発覚したのです!
たまたまフラッと、レンタカーで民宿から本宮まで来たとのこと。

まったくもって驚きました。まさかハイヤーが迎えに来ているなんて。
こんな幸運が訪れるとは、夢にも思いませんでした。
しかも中辺路を通って本宮へ詣でた直後に。何やら神がかっています。

一体全体、どういうことなのでしょうか!?
老夫婦から見たストーリーは、以下のようなものでした。
「温泉に入ろうとしたら、他の人が先に入ってた。で時間が余ってしょうがないので、ちょろっと車で本宮を見に来た。2~3分だけ見て帰る予定だった」

温泉に入っていたのは、実は民宿で落ち合う約束をしていた相方でした。相方から見たストーリーは、以下の通りです。
「雨で寒かったので一刻も早く温まろうと、民宿についてすぐに温泉に入った」

僕から見たストーリーは、前述したとおりです。

これらの偶然が全て重なって、ほんの数分というタイミングで、僕は、
「頼んでもいないハイヤーが不思議にも迎えに来た」
という状況と出会えたのです。
このことは、単に民宿に行けてラッキーという以上に、僕に深い影響を与えました。

 
影響、というのは、言葉でいうのは難しいですが、つまりこういうことです。
老夫婦がたまたま車で本宮に来る、などということは、僕には全く予想のできないことでした。
しかし一方、僕は本宮についてからどうしよう、なんとか手を打たなくちゃ、と、本気で心配していました。
手の打ちようは前述の通り、いくつか考えました。
しかし、土地勘もないし知り合いもいないし、携帯も壊れてしまっている状況では、
打てる手はそう多くはありませんでした。
夕方ごろバス停をスルーしたとき、何か本宮に着いた後の計画があるわけではありませんでした。
完全に無謀な行動でした。

僕は老夫婦が本宮に来るタイミングに自分の行動を合わせることはできませんでした。
ただその時その時で、早歩きしたり携帯を直そうと格闘して諦めたり、ベストを尽くしていただけでした。
しかし結果としては、僕の想像を超えるような形で、僕の望んだとおりのことが実現しました。

僕はこの経験を経て、2つの大きなことを文字通り体で理解しました。

  1. いったい何が幸いするか判らない
  2. だから必要以上に思い悩まない
老夫婦が本宮にいる2~3分の間に僕が居合わせるためには、それまでの僕の行動全てが、必要なものでした。
休憩所Aで少し休んだのも、休憩所Bはスルーしたのも、全ての判断が必要なことでした。
でも繰り返しますが、それぞれの行動をしているときは、それが後に及ぼす影響なんて、判りません。

「必要以上に思い悩まなくていい」というのは、そういう意味です。
「今の僕の判断は正しかったのだろうか、間違っていたのだろうか」
ということは、結局は僕には判らないことです。
人にはコントロールできることコントロールできないことがあり、
できることにのみ集中していれば、それ良いのだと思いました。

跳べ、そうすれば、あなたを包み込むネットが現れる
人間万事塞翁が馬
ということなんだと思います。
そしてそのネットは、跳ぶ前には想像もつかないような色と形をしているものなのだ、と。
だから考えても無駄だ、と。

以上はよく言われることで、頭では理解していましたが、
今回、強制的なまでに体に染み込んでいきました。
思えば、僕はどちらかというと心配性で、
いつも事態が悪化したときのために、保険を打って生きていました。
もちろん保険を打つことは良いことですが、
そのせいで、本来起こせるはずだった言動を起こせなかったのも、事実です。
そして、その背後に、保険を打とうがどうしようが、
どうしてもぬぐえない不安があったことも、事実です。

そんな自分に、この事件は、「ネットが現ることを信じて、跳ぶ」力をつけてくれました。
そしてそれは、今の僕には必要なことのように、感じました。

 
 
僕は老夫婦にお願いして、車で湯の谷荘まで送ってもらいました。
湯の谷荘は、清潔で、温泉も気持ちよく、料理も豪華で、
とても快適なところでした。

そして翌日。昨日の大雨がウソのような快晴です。
快適な気分で、熊野本宮大社に行きました。
晴れた日の中でも熊野本宮大社は、
奈良時代辺りからタイムスリップしてきたような、古い威厳を漂わせていました。
とても空気が澄んでいます。
観光客はたくさんいましたが、まるで気にならないほど、特別な気配に満ちていました。

Ooyunohara2006053104本宮をお参りした後は、大斎原(おおゆのはら)に足を伸ばしました。
大斎原は、野川・音無川・岩田川の3つの川の合流点にある、中洲です。
太古の昔より聖地とあがめられていたそうで、昔、本宮はこの大斎原にありました。
明治の大洪水で本宮を今の場所に移したのですが、大斎原は、
「又と得がたい聖地」(案内書きより)
とのことで、簡単な祠だけを用意して、そのまま保護されています。

大斎原は……ここは、すごいところでした。
日本一といわれている大鳥居を越えると、あとは林と、だだっ広い空間しかありません。
しかし……実際行かないと判らないと思いますが、
本当に清々しく、気持ちよい気配に満ちています。
大斎原だけではなく、周囲の川や川原も、何時間でもいたくなるほど、気持ちの良い場所です。
誰が来ても、ここは聖地だと思うでしょう。
何も無いけど、聖地。神々の気配が濃厚な場所。
誤解を恐れず素直に感想を言えば、このような場所がこの地球にあること自体がスペシャルなことだと、感じました。

 
 
ちょっと普段と違う、照れくさい記事ですが、以上です。
中辺路の自然と、雨の熊野本宮大社、晴れた日の下の大斎原を、僕は決して忘れることはないでしょう。

 
 
ずっとやりたかったことを、やりなさい。
ジュリア キャメロン

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コメント一覧

なんか、すごい体験したね。
ワタシも、いろんな出会いや決断が本当は「偶然」っていうものはなくて、すべては「必然」なんじゃないか、って思っています。
あのときこうしていればヨカッタとかって、後から悔やむことがあっても、そうしたらまた他のことも複雑に違ってきて、それが正しかったかどうかなんてやっぱりワカラナイ。
だから今自分がしたことに自信をもって、その時その時を、どんな出会いも大切にしていくことが大事なんじゃないかなあと思います。

なんで、こういうことで
「自分はスピリチュアルな体験をした!」
と感動してしまう安っぽい人が最近多いんでしょうね。

別にどっかの神社まで行かなくても、こんなレベルの悟りは都会の雑踏の中でもひらけると思います。毎日の暮らしを大切にしていれば、誰でも体感していることでしょう。街にいようが山にいようが、雨のひとつぶに涙して葉の散るさまにほほえむことは可能です。

神社だの、聖地だのという「装置」が必要な悟りは、しょせん物質文明社会における消費文化と同じですよ。そういう装置をお金を出して購入しているに過ぎない。それに、その装置が保守寄りっぽいと、なおさらうさんくさいです。

小鳥さんが熊野滞在中、和歌山は雨が多かったので、和歌山人としては
(せっかく熊野体験をしにいらしてるのに、雨で、申し訳ないなぁ・・・)と思っていたんです。でも、雨のおかげ(?)で貴重な体験をなさったと言うことを拝見して、嬉しかったです。

僕は「雨のひとつぶに涙して葉の散るさまにほほえむことは可能」と力説する方が神社や聖地と呼ばれる場所を「装置」と表現する事の方が「うさんくさい」ように見えてしまうのですが・・・僕も「安っぽい人」なのかも知れませんねww
古くから多くの人の思念が集まり祭られる場所というのはそれだけで何らかの「意味」があるような気がします。それは形にはならない物なのかも知れませんが、長い時間に渡り文明に過剰な影響を受けずに保ってきた雰囲気や、普段の雑多な環境から開放される空間に身を置く事で自分の何かを見出せる場合もあるでしょう。「悟り」って自分1人だけで啓く物だと思うのは間違いで、「自分を取り巻く全ての物に対して理解する」ってことなのだと思います。方法として孤独の中でその悟りを求める事もありますけどね。
個人的な意見なので僕も小鳥さんと同じく「自分用のメモ用」として生意気な事を書いてしまいました。

雨止まないかなぁ・・・


中2病を発症中。

ごめん。あいだに人が入っちゃった。

るん♪さん:
 そうですね。そして僕は、人の言動で気になることがあっても、「これもいつかなんか役に立つかもしれないから」と、大いに許せるようになってきました。

Barさん:
 いやー安っぽくてすみません。このくらい判りやすい状況が整わないと、体で理解できなかったんですね…
 ただ、個人的に思うのは、起きた場所や時間や出来事の内容と、自分の感情は、直接リンクはしていないということ(じゃないと、特別な場所や時間に居合わせなくちゃ心情を成長させられないという、おかしなことになってしまいます)。
 もし僕に必要なことであれば、たとえ熊野に行かなくても、街角で雨がふる様を見て、急に同レベルの悟地に達していたと思います。
 今回の熊野の件だって、「すごいラッキー!」と喜ぶだけで終わらせることもできたと思います。
 たぶん僕は無意識的に、何か気づきを得たくて、熊野に行ったんでしょうね。「旅に出る」という選択肢もまた必要なことだったんだと思います。

novemberさん:
 その節はありがとうございます。すずやき、めはり寿司、さんま寿司、釜揚げシラス、那智黒飴、梅ぼし、食べました!

tさん:
 その通りですね。そして、その時の自分の気持ちに従って、今いる場所で踏ん張ってみたり、ちょっと違うところに行ってみたり、色々するのがいいんだと思います。「何が正しいのか」とかはあまり考えずに。

いちるさん、よかったですね。 
旅行記とても楽しかったです。 写真も素晴らしいです。
熊野、以前から行ってみたいなと思っていたのですが、ますます行きたくなりました。

ふと思い出したお話ですが…自分は特に信心深いとかスピリチュアルとかでもないのですが、なんとなく思い出しました。

ある日の朝、マザーテレサの施設の食料を担当している人が顔色を変えて「マザーテレサ、大変です、もう食べ物が何も残っていません。今日、施設の人々もわたしたちも、何も食べるものがありません!」と言ってきました。 そこで皆で「困ったなぁ」と困っていると、突然、次々とトラックが施設の前に止まり、どさどさと大量のパンを降ろし始めたのだそうです。 皆がびっくりしていると、トラックの運転手が「今日、学校がストで休みになってしまったから、給食のパンが余ったのですよ」と言って帰っていったのだとか。
マザーテレサは、自分はすべきことをして、後は心配しないのだ、というようなことを言っていたと思います。

シンクロニシティってやつですかね?

熊野はまだ行ったことがないので、楽しく読ませていただきました

ぽんぽこりんさん:
 マザーテレサの話は、なんか凄みを感じますね。
 この世は不思議です。

雷太さん:
 複雑系の世界を見せ付けられた思いです。

以前より楽しくブログを拝読させて頂いておりました。

今回のブログと時を同じくして、私も似たような経験(いちるさんのほどドラマティックではありませんが)をしましたので、大いに共感し、ついコメントを書かせて頂きました。

私も性格的に心配性なところがありますので、いちるさんのお気持ちはよく分かります。
しかし、直感を研ぎ澄ませば、日常の至る所にメッセージがあるのかもしれません。
ユーミンの歌に「目に映る全ての事がメッセージ」というフレーズもありましたし。

今日これを読めてとってもうれしいです・・・私もいつか熊野に行ってみます。
「野」という名前のついた昔からの土地は、墓地霊場を意味することが多いものです。「遠野」もしかり。偶然といえばそれまでなんだけど、その偶然がこんなに心を動かすという経験自体が、「人間って捨てたもんじゃないなあ」と思います。

やすさん:
 今日、ちょうどそういうワークショップを受けていました。
 周囲の音に対して敏感になるという「風をひらく」というWSです。
 http://native.way-nifty.com/native_heart/2006/06/__1e81.html
 良かったですよ。

こるりこさん:
 へー。古い地名には色々と意味があると思うので、ただの偶然では
 ないと思いますよ。

ハイヤーはお金を払って呼びつけるもの。
迷子になっている他人を気の毒に思って送ってくれた人のことをハイヤー呼ばわりはひどいでしょう。

↑ハイヤーとは、「とても上等な」という意味で書かれてると思いますよ。いちるさんが傲慢に振舞っているようにも読めません。
つまんない揚げ足取りはよしなよ。

↑ブログなんだから本人さんにしか言ってないよ。奇特な言語感覚を持ってるみたいだけどあんたの意見には興味ない。荒らしは良くないな。

先日、熊野へ行って参りました。
この大斎原へも。
私が行ったその日も、なんと雨が止まず、大日王子を歩いて民宿へ行く予定を変えなければならなかったのですが、なんと本宮へ着いたとたん、雨がやみ、本宮へ足を踏み入れたその瞬間は5時。
たったひとりの参拝となり、無事古道を歩き民宿へ。
なんと、そこの旦那さんが、来年は大斎原で演奏しませんか、というプロポーズ。
熊野は、神秘的ですね。。。

いちるさん、和歌山へ来たなら「みはま系」へも
途中で立ち寄ってほしかったです。

今、すごく悩んでいることがあって、ずっとブルーな気持ちでいました。人間関係です。自分が正しいことをしようとしても、足を引っ張る人がいて、行動を起こす度に、過度に、その人に対して卑屈になっている自分がいました。でも・・・元気でたよっ。なるようになるんだな、と。大事なことは自分が信じたことをしっかりやっていけば、ネットは準備されている、ということ。(と解釈しました)。外資系秘書のお姉さんの話題も、ほんとに目から鱗でした。いいタイミングでこのブログに出会ったのも、神様から準備されたネットの一つ?いちるさん、ありがとう。このページと出会えたことを感謝します。

初めまして。通りがかりにとても興味深く読ませていただきました。
熊野はとても深いところですよね。
那智周辺にも友人と観光で行った事がありますが、私にはキツ過ぎたのか、それとも物見遊山的だからだったのか、ヒリヒリとして長居出来ませんでした。

「この世の全てが必然で無駄な物は一つとして無い」
いちるさんの体験も、きっとその後に必要な体験だったんですよ。きっと。
↑の方も書いてますけど、このタイミングでこの話に私がかち合ったのも、何かの意味があるのかもしれないです。
私も少々悩みどころだったので。。。
また覗きに来ます~(^^)

わたしも、 熊野 界隈に 行ったので、親近感 
覚える 記事でした


これ、http://jp.youtube.com/watch?v=DcwNflTBTWc&feature=PlayList&p=0DF5667D76BEE79D&index=12
 
見て 見て、です(‘‘;)

新大阪から夜行列車で那智に行こうとしたら、そこに乗り合わせたおばあさんも那智に行くということでタクシーに乗せてもらい、夏の日の出に照らされる那智の滝をみることができたんだけど、これもプチ奇跡ですかね?

初めて書き込みいたします。
熊野在住、み熊野ねっと管理人のてつと申します。
遅ればせながら、いろいろとリンクを張っていただき、ありがとうございます。

この度、「み熊野ねっと」の「熊野旅行記」というコーナーからこちらのページにリンクを張らせていただきました。

熊野のことをとてもよく書いてくださって、ありがとうございます。

とりあえず思ったこと

ハイヤー扱いはひどいんでないかい?
助け舟とか。

承認されない気配がしますけれど、一応書いてみます。

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