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僕はよく人と揉めます。
ちょっと真面目なお話。
僕はよく、人と揉めます。
別に頻度はそこまで高くないんですが、毎回揉め方が“派手”なので、
きっと周りの人からは「あの人はよく人と揉める人だなぁ」と
面倒くさいキャラ扱いされているだろうと思います。
クリエイティブな仕事をする上で、良いモノを作るためには
少なからず“良い作品を作るための”ケンカをすることは必要です。
が、今回はそういう「良いケンカ」の話ではなく、
「良くないケンカ」の話、もしくは「良いケンカをしようとしたのに
結果的に良くないケンカになってしまったケース」の話です。
ひょんなことから、「なぜ自分は人と大きく揉めるんだろう?」
ということを考え始めました。
同時に、「なぜ他の人はここまで揉めないんだろう?」ということも
考え始めました。
僕が他の人より堪え性がないから?
他の人より頑固だから?
他の人より自己中だから?
全部当たっていないわけではないんですが、
どうにもそれだけではなさそうです・・・。
実は、大人になってから人と揉めて、どこまで話しても平行線で
「じゃあ辞めます」となったことがこれまでに4回ありました。
で、考え始めてからその4回の【共通点】に気がつきました。
なんと、そういえばどのコミュニティも僕が辞めることになった
数年後に、大半の人が当時の僕と同じような不満を持ち始めていたり、
辞めたり、全体が解散したりしているんです。
僕が辞めた後のことなので今まであんまり意識して考えたことが
なかったのですが、4つのケース全てで僕が辞めた数年後に
僕が揉めた相手に多くの人が大きな不信感を抱くようになり、
結果、4つのうち3つで大半の人が決別しているんです。
僕が揉めた当時は「えっ?なんでそんなこと言う必要あるの?
仲良くやれば良いじゃん」みたいな意見だった人たちがっ!!!
(※ひとつはまだ比較的新しいコミュニティなので、
不平不満が大きくなりつつもまだそこまで至っていないようです)
つまり、僕は「よく揉める」のでもなければ「揉め方が派手」な
だけでもなく、正確には「揉めるのが早い」だったんです(笑)
では、なぜ僕は「揉めるのが早い」のか?
ポイントは「当時、他の人たちは特に不満を感じていなかった」
という部分です。
みんなが同じように不満を感じていたのに僕だけが揉めているのならば
僕の堪え性がなかったということになりますが、これまでのケースを
思い起こしてみると「みんなその時は気がついていない」んですね。
そこで、以前、福原P(チャラP)から言われたことを思い出しました。
一緒にアニメ映画を見た帰りのことです。
「石ダテさんはシナリオのつじつまにうるさすぎる!
キャラが可愛かったら、別にそれでいいじゃないですか!」
チャラPは分かりやすい作画厨なんですね。
今までに読んだ漫画も、見たアニメも、全部内容はあんまり
覚えていないそうです(笑)
そのときは「そりゃあ、あんたに比べたらね!」くらいにしか
感じていなかったのですが、その後いろいろな人と話し、
自分はシナリオ厨…というより、もはや「つじつま厨」だということを
自覚するにいたりました。
シナリオのつじつまが合っていないと感じた瞬間、一気に作品に
入り込めなくなってしまうんですね。
(これをあんまり大きな声で公言してしまうと、自分の作品でうっかり
つじつまが合っていないことがあったときに恥ずかしいので
さらっと聞き流してくださいね…笑)
話は戻ります。
僕は性格的にか、作家という仕事的にか、学者家系という環境的にか
(おそらく全部が要因)、とにかく「ちょっとでもつじつまが
合っていないこと」「何かしらで論理破綻していること」に
とても敏感な性分なんですね。
で、基本的に僕より目上の管理職の人は、少なからず
「情報コントロール」をしたり、物事を「なにかしら都合良く話す」
ことで多くの人を管理しているものです。
それに対して僕は、まだ他の人たちがうまく言いくるめられている時期に、
目ざとく「あれ?今、説明におかしなところがあったぞ?」とレーダーが
反応してしまう気質なわけです。
そして、疑問を払拭しようと相手に質問を繰り返すうちに
「あれれ?ますますつじつまが合っていないぞ!?」という
状況になってきてしまうわけです。
(これを許容できないところが社会不適合たる最大の原因だろうな、
という自覚はあります)
おそらくそこで、「なるほど、この人はこういうやり方が通用しない
タイプなんだな、こういうタイプの人を納得させられるやり方にシフトしよう」と
別の方法でも管理する手腕がある相手だったら僕も辞めずに済んだでしょうし、
そこも数年後に多くの人たちと決別するコミュニティにはならなかったのだろうな、
と思います。
が、残念ながら今まで相手はそのやり方で(少なくとも短期的には)
ぼちぼち成果を挙げてきたようで、その自分の持つ唯一のやり方で
丸め込める相手を探しているケースばかりでした。
裏を返せば、「僕が身を引くまでに揉める相手だったら、
その後他の人たちとも何かしら揉めて空中分解する団体なのだから、
むしろ早めに決別できたことは幸いなことだ」と、僕としては
(これはこれで都合良く)前向きに捉えられるようになったのですが、
実はそこにもうひとつ、長年感じてきた大きな「悩み」がありました。
ご説明した通り、僕は
「つじつまが合っていないこと/論理破綻していること」
「相手が自分にとって都合の良いことを、さも全体の正義であるかのように
説明してくること」
などにとても敏感に反応してしまい、いち早くケンカしてしまうわけですが、
悩みと言うのは、そこで「数年先までは気がつかない周りの人たち」に
何もしてあげられない、ということです。
そのときはどんなに説明しても理解してもらえませんし
(僕の説明の仕方が悪いのかもしれませんが)、
しかし4つの実体験で言えば、数年後にはみんな絶対に気がつき始めるんです。
別に瞬間的に僕が悪者になるのは全然良いとして、
その結果が分かっているのに何も出来ないもどかしさと言いますか。
別に嘘ばっかり付いてきたつもりはないのに「狼少年」のポジションに
なっていることへのやり切れなさとでも言いますか。
崖っぷちへ向かって猛ダッシュしている人たちを見ながら
止められなかった事実に、毎度毎度やきもきしてしまうんですよねぇ。
この「説明しても分かってくれないけど、どうせ後で気がつく人」には
付き合っていく上でどうアプローチすれば良いんだ!?(心の叫び)
かといって、その周りの人たちも「疑問なく言いくるめられている期間」は
幸せなのかもしれないし、結果うまくいかなかったことが次の大きな
ステップに繋がるのかもしれないし、もしかしたら今までの実体験とは違って
そのケースでは僕がマイノリティだっただけで数年後も僕以外で
うまくいくのかもしれないし・・・。
いやはや、正解が分からないんですよねぇ。
もうすぐ40歳になるわけですが、まだまだ惑うぜ・・・。
April 16, 2014 | 固定リンク | ()
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