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作画厨・キャラ厨・シナリオ厨について、ふと思ったこと
ちょっと真面目なお話。
ふと、以前『アニメージュ』でインタビューしていただいた小黒裕一郎さんの言葉を思い出している…
僕としてはアドリブアニメを作る上で「中の人とキャラを徐々に同一化させていく」ということは「作品として最終的にシナリオを楽しんでもらうために必要不可欠なこと」だと考えて、特に意識せずに自然と盛り込んでいた。
僕は作画厨・キャラ厨じゃなくシナリオ厨の部類なのであまり意識したことがなかったけれど、「どこかのラインを越えたところから、まるでそのキャラが実在するかのような錯覚に陥る」って感覚は、きっとキャラ厨の人からするとすごいエクスタシーなんだろうな、と気がついた。こだわりが強い分、中の人丸出しの3DCGを「キャラ」として受け入れてもらえるまでには時間がかかるだろうけどw
で、大事なのはここから。
作画(アニメ)厨、キャラ厨、シナリオ厨で意見が分かれる現象を良く見かけるけれど、僕はそれを「必要だから」意識せずにやっていたわけで、きっときちんとバランスの取れた作品であれば「その作品にとってベストな作画、キャラ、シナリオ」になっているはず、ということ(自分が今までに作ってきた作品がベストだとは言っていない)。
本来は三位一体であることが望ましい。
つまり裏を返せば、作画厨/キャラ厨/シナリオ厨で意見の分かれる作品は、それだけバランスの悪い出来だ、ということ。みんな「作品として良くなかった」ものに対して、自分のこだわりのある部分の中で「戦犯探し」をしたくなっているだけだろうなぁ、と感じた。
August 11, 2014 | 固定リンク
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