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噛み合わない議論
これまでの環境が特殊だったせいでたぶん他の方々と比べて僕は気がつくのが遅かったんだけど、「議論」って二種類あるんだってことを実はこの数年で知った。
ひとつは論理的に意見をぶつけ合ってより正しい答えを見つけるため話し合い。
もうひとつは何が正しいかなんてどうでも良くて、自分の要求を通すための力技討論。
「議論をした」っていうアリバイを作りたいだけで、むしろ交渉とか説得に近い。
僕は後者をあまり知らなかったんだけれど、どうやら社会にはこっちの方が多いらしい。
こんなに性質が違うならそもそも名前も変えてくれればいいのに。
自分が勝つために議論をしている人が相手だと、真剣に付き合ってもどんどん都合良く論点をすり替えられてただただ疲れる上に、最終的には必ず感情論で引き分けに持ち込まれるので極めて生産性が低く、結局誰も得せず終わる。
(まぁ、議論の目的自体が違うんだから仕方ない)
この場合は利害優先でそもそも論理的に考えること自体が不毛なので、「この議論はどちらのタイプか」を最初にまず相手に確かめて、後者だった場合は「双方の利害が一致する部分の模索」の一点しか会話をしないようにしている。
こんな僕もちょっとだけ大人になっちゃったんだなぁ、と寂しく感じる瞬間だ…
が、書いていて、後者の「議論」は原始的かつ野蛮で、まるでカップルの喧嘩のようだな、と感じた(笑)
あれっ?
野蛮で原始的なくだらないカップルの喧嘩だとしたら、利害を最優先に考えて相手に理不尽を押し付ける&受け入れる、って本当に「大人」なのか?
考えれば考えるほど「大人」の定義が分からなくなってくる。
よく言われる「大人になれ」って言葉は平たく言うと「会社のため、もしくは家族を養うためにいろんなことを諦めて、会社の利益だけを追求する従順な労働者になれ」って意味だ。
会社組織に参加するには必要な意識かもしれないけど、なかなか人権を無視した残酷なフレーズだと思う。
みんなもうこんなことには疑問を持たないくらい「大人」になっちゃったのかな?
それはさておき、長々と何を言いたかったかというと、「有益な議論をするためには、まず議論の『目的』と『論点』を正しく共有する必要がある」ってこと。
じゃないと議論が噛み合わず、結局「罵り合い」で終わる。
基本的なことなのに意外と忘れられがちだ。
January 27, 2017 | 固定リンク | ()
コメント
BBS世代とSNS世代の違いから考察する言語認識の根本的違い――ネットに向かって喋る人たち http://hyogokurumi.hatenablog.com/entry/2017/04/29/204727
なんだかこれに通じるものがありますね。
投稿者:飛んだ爪 at May 17, 2017 1:40:10 AM