「アバウト・シュミット」と「デブラ・ウィンガーを探して」


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最近、映画/ビデオづいてます。

先日、立て続けに2本のDVDを見ました。「アバウト・シュミット」と「デブラ・ウィンガーを探して」。
見終わって思うのは、「この2つの映画、関連性があるんじゃないの?」ということです。そこで、頭の中はまとまらないまま、この2つの映画について書いてみようと思います。

(以下一部ネタバレあり。注意)

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まず、簡単に2つの映画の概要を。

アバウト・シュミットの概要
デブラ・ウィンガーを探しての概要

「アバウト・シュミット」は、会社を定年退職した男が、今まで守ってきたもの(生きがい・妻・娘など)を失って過程の悲哀を、「デブラ・ウィンガーを探して」では、40代にさしかかったハリウッド女優が、今まで武器としてきたもの(肉体的魅力など)を失って、その後どのようにして女優をやっていくか、または人生を生きていくか、各女優の意見を、それぞれ描いています。

「アバウト・シュミット」は、どえらい名作だと、個人的には思います。最後のシーンの本当の意味は、僕がシュミットの年齢になるまで判らないのかもしれません。でも、重みだけは、痛いほど伝わってきます。まるで自分のことのように受け止めることが少しできる気がするし、「シュミット的な」人、つまりほとんどの年老いた人々の人生丸ごとに対して、強い愛情を感じることもできます。

しかし、この映画への、僕の最終的な感想は、

うわぁ、絶対、こうなりたくないなぁ

です。自分の人生に起こっていることについて真剣に再検討することなく、ただ流されて生きてきた結果、シュミットはああなっているのだと思います。その意味で、反面教師的に受け取ることが多い映画でした。

でも……シュミットみたいにならないようにするには、僕はどうしたらいいのでしょう? シュミットの人生はあまりにも普通で、ほとんどの人が通りそうな道なのに。

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この問題に対するヒントを、「デブラ・ウィンガーを探して」は、提示してくれているような気がします。この映画はドキュメンタリーで、インタビューに出てくるのは、実際の40代以上のハリウッド女優ばかり。

ハリウッド女優は、大体30代~40代ぐらいで、

そろそろキミ、お払い箱じゃない?

の危機と直面します。自分は全然まだやる気なのです。演技の幅や深みも広がってきたし、体力もあるし、家庭との両立方法も身につけつつあるし。
しかし、美女のセクシーシーンを金に換算してビジネスを回しているハリウッドでは、「演技派の中年女性」の出番は、ほとんどないようなのです。演技派中年女優に役なんてないんです。そもそも中年/老年女性向けの映画がほとんど作られないのですから、当たり前といえば当たり前ですね。

そんなこんなで、40代以降のハリウッド女優は、多かれ少なかれ、自分の今後の人生について、真剣に検討しなくてはいけない羽目に陥ります。
彼女たちは、実に色々なことについて考え、話し合い、自分なりの回答を見つけていきます。
映画は1本の主張に従って作られてはいません。登場人物たちの意見はバラバラで、何か1つの結論を見出すのは困難です。でも、そこがかえってリアリティがあるように思うし、そもそも僕は誰か他人が提示する理路整然とした回答なんて期待してないので、この映画に強くインスパイアされました。

お気に入りのセリフを、いくつか(うろ覚えですが)抜粋します。

自分の選択に後悔はない、まず1番は子供、それが最優先よ。
いい仕事の話を断るのは仕方ない。でも公開されて当たると、チャンスを逃したと、ライバル意識とは違う、ただ惜しいことをしたと思うの。
子供を愛するからこそおかしな矛盾が残る。後悔はしないけどどこか寂しく思うの。
それは消えないわ、20年後も役を逃したことを寂しく思うのよ。

己に対して正直であれ、よ。
どこかで自分の真実や信条が貫けるならいいの。自分の品位とか誇りとか……愛の力を信じるとかね。
要は信念よ。自分より大きなものを信じる方がいいわ。人間は小さいから。
自分で決めるの。
「これだけは蔑ろにしない。絶対に守り抜く、それが私の原動力だ」
必要なことよ。

今が一番いいときだという気がするわ。
それは私の発見のせいなの。「なんだ、私は石の下にいたのね。出てみれば思ったより面白い世界だわ」と。
だから純粋に私の気分よ。仕事を減らして ゆっくり周りを見てる快適な自分がいる。

私の故郷の欧州ではエイジングが尊重されていて、60代の女性が生き生きとキャリアを築いている。

情熱とは自分の心を融かすもののことよ。
心をソフトにするものや、開かせるもの。それを追うべきよ。

誰もが実生活の中で自分の中の子供の部分に捕らわれる、そんな傾向があるでしょ?

世間は私たちに対して自分の知ってる女優でいて欲しいと思う。
変わることも成長することも許さないの。
だから努力して自分に言い聞かせないと。
「これが私よ。これが私という女なの。だれにも手出しさせないしどこにも逃げない」

存在感をアピールするためだけに群れに属するのはまっぴら。

人には子供的なものを捨てるべきときがある。
あえて若い時代と決別するの。でも若い時代に成功してしまうと、その時期がわからないわ。次の自分が不安でね。
捨てるには勇気がいる。でもそうすることは人生に荷を軽くすることよ。古い自分を潔く捨てて、また新たに歩き出すの。そのほうが安らぐし、健康的で充実感も違う。
ただし勇気もいるし、ダメージも受ける。
でも自分の目を見て言うの、「さあ、捨てるときが来たわ」と。

心で結ばれたパートナーが持てれば最高よ。でも子供でもいいし、社会との関係でも構わない。
外への旅のつもりでも本当は内面の旅だし、1人のつもりでも世の中の一員よ。

私たちはみな自問してるわ、「恐怖に負けない心を持つには?」と。
今は恋愛も政治も不安よ。世界中が不安。仕事も不安だわ。
だから私は祈るの、幸運であるように、と。
国民として表現者として、言論の自由が守られて喜びが来るように。
私たちはとても恵まれているわ。

……いかがですか?

彼女たちは、真剣に自分や自分を取り巻く環境と向き合い、何がしかの道を見つけようと模索しています。
そして、そんな彼女たちの奮闘を見て、僕たちも、勇気や元気を感じることができる、人によっては、自分が抱えている問題の直接的な解を得ることもあるかもしれない、そう思います。

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僕たちは誰でも、いつか老いていきます。自分ではそう思わなくても、周囲からそう思われはじめることもあります。
また、日本では、老いまではいかないとしても、20歳、25歳、30歳、35歳、40歳……みたいな、だいたい5歳刻みぐらいで、周囲から、強く年齢を意識させられます。

「そろそろ夢をあきらめたら?」
「そろそろ定職についたら?」
「そろそろ彼女でも作ったら?」
「そろそろ結婚して子供作ったら?」
「そろそろ転職できなくなるんじゃ?」

でも、僕たちは、肉体的なことは仕方ないとしても、できるだけ年齢に左右されないで、自由に、自分で考えて、自分のやるべきこと、またはやりたいことを、やっていきたいですよね? 歳を重ねることをプラスにとらえられたら、もっといい。
自由を確保するためには、どうしたらいいんだろう? そう考える人たちに、この2つの映画は、とても重要なことを示唆してくれるんじゃないかな、と、そんなことを思った今日この頃でした。

みなさん、いかがお過ごしですか?

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