先日、masのセカンドアルバム「steppers+」のリリースライブに行ってきました。
渋谷O-nestは満員で、ライブは最高に格好よかったです(SOUL for SALEの鈴木さん、案内忘れてゴメンなさい! ぜひ見てもらって、感想を聞きたかったです。次回は必ず)。
まあ、その模様の詳細はこちらでご覧いただくとして……小鳥では、このmasのリーダー、ヤマダタツヤくんについて、少し書こうと思います。
希望を与える話だと思うので……
---------------------------
masは、敢えてジャンル分けすると、「ジャズ・エレクトロニカ」ということらしいです。
エレクトロニカだけど、バンド編成。打ち込みと生音が有機的に絡まったスタイル。ヒップホップやロックの要素もふんだんに盛り込まれた、新しいタイプのバンドです。
僕は、masを、一番最初のライブの頃から、知っています。
初めにヤマダタツヤくんに会ったのは、もう5~6年前。彼は僕が働いている事務所の、デザイナーでした。
で、「ライブやるよ」というので、行ってみたわけです。
散々でした。
3人編成だったのですが、全員バラバラ。曲も何がなんだかよく判らない。
僕は楽しめたのですが、きっとほとんどの人は、「?」という感想を持ったことでしょう。
彼は「今の世の中の音楽的セオリーを全て破りたい」と言っていましたが、それ以前に素人臭さ全開で、高校生の実験的音楽のようでした。
それが約5~6年前。その時、彼は、27歳くらいでした。
事務所の同僚たちと、何回かライブに行きました。
そして同僚のほとんどは、このバンドを、ただの「サラリーマンの週末のお楽しみ」程度に思っていました。
しかし彼は、事務所を辞め、フリーのデザイナーになりました。
理由は、「音楽に費やす時間を確保するため」。
その時彼は、29歳くらいだったと記憶しています。
その後、masは少しずつ成長していき、ファーストアルバム「Turn」が、インディーズレーベルから発売されます。
最初に聞いたときは、ジーンときました。
だって、ちゃんと曲になってるんだもの。そしてその曲は確かに「今までの音楽のセオリーを全て破ったもの」だったんだもの。
きっと彼の頭の中では、最初から、こういう音が鳴っていたのでしょう。
でも余りにも独特で、やり方を一から自分で構築しないと、とても実現できるようなものではなかったのでしょう。
全部打ち込みでやれば、まだ作り易かったのかもしれません。でも彼はバンド形態にこだわりました。
それはつまり、バンドメンバーに、自分のイメージを伝えなくてはいけないことを、意味します。
曲の構成も独特、音が入るタイミングや抜けるタイミングも独特、何もかも独特なこの音楽をメンバーに伝えるのは、並大抵の大変さではなかったに違いありません。
そしてまた、これを理解できるような優秀なメンバーを揃えることも、並大抵の大変さではなかったに違いありません。
でも彼は、決して諦めず、だからイメージを現実に持っていくことができたんです。
今がアガり時です。「これからmasでガンガンやっていくのかな」と思いました。
でもmasは、ほぼ活動休止状態になりました。
ヤマダタツヤくん自体は、打ち込み主体なTyme.というユニットを結成したり、よりジャズ寄りのsimで活動したりといったことを、黙々と行っていました。
マーケティング的観点からすると、自殺行為のようなアクションに見えました。せっかくアルバム出したんだから、精力的にライブをして、早めに2枚目のアルバムを出して……みたいな感じで、ファンを広げていったほうが良いに決まってる。
でもマーケティングなんてクソ食らえなんですね。ヤマダタツヤくんは身体でそれを証明しました。
masから離れた活動を行い、より自身の幅を広げたヤマダタツヤくんは、「Turn」から数年後のこのたび、2枚目のアルバム「steppers+」を発売しました。
「steppers+」はミニアルバムであるにも関わらず、 今ノリにノってる菊地成孔様から「ジャズ・エレクトロニカの真の始まりを告げる傑作」と賛辞され、渋谷HMVでは2階エスカレーターの柱脇というナイスポジションで大プッシュされ、O-nestを満員にしました。
まだまだ、これからもガンガンアガって行くんだと思います。
---------------------------
さて、この話で僕が強調したいのは、彼の年齢とスタート時期の話です。
彼がmasをはじめたのが、27歳くらい。
27歳といえば、アーティストとしては相当遅れ気味のスタート、だと思います。
成功している人だったら、既に成功サイクルが一巡くらいしている年齢。
成功していない人だったら、そろそろ身の振り先を考えるお年頃。
彼はそれ以前にもずっと音楽を志してきていたようですが、この時点では、なんというか、限りなく初めの一歩に近かったのではないかと推察します。そういうクオリティでした。
普通に考えると、この年齢ではじめたバンドは、趣味のバンドだと思いますよね?
でもmasは本気バンドでした。
僕の記憶が正しければ、彼は今、33歳です。
このくらいの年齢だと、多くの人たちは、
「そろそろ落ち着く頃だな」
とか思いますよね? 同じ会社の新入社員とか見てて、
「若い人たちとは、もう友だちみたいに接っすることができないな。向こうも僕を大先輩だと思ってるみたいで、緊張してるし」
と考え、ある程度距離を置いてるかもしれません。
若くしてある程度成功した人とかと話していると、
「やっぱ30歳までに何か成し遂げてないヤツは、何やっても駄目だよな」
という話もよく聞きます。
あなた自身、「いつまでも夢ばっかいってらんねーよな」と数年前に口にしたかもしれません。
自分のキャリアを振り返って、紙にまとめて、いくらくらいだろうか? と考えるかもしれません。そしてそれを「キャリアプラン」と呼んでいるかもしれません。
でも彼は27歳から音楽をはじめて、
それを最優先した生活を送り、
周囲や常識と比べてどうかとか気に揉まずに、
黙々と自分の音楽をやっています。
遅れたスタートにも関わらず、小利口に業界を立ち回ったりせず、
妥協をしないで、しかし大いに認められつつあります。
見た目や話、雰囲気も柔らかく、まだまだ可能性を感じさせます。
ライブ中にも、周囲から「タッちゃーん」と呼ばれ、親しまれています。
年齢など関係なく、10代から40代まで、幅広い人に慕われ、影響を与えています。
彼は「年齢制限」を突破します。
この年になったらこうならなきゃとか、この年になったらこうじゃダメとか、そういうものを飛び越えていきます。
周囲の人が何歳だとか、自分より上だとか下だとか、そういうものを無視していきます。
ひるがえって彼と同年齢の、自分の周囲、例えば事務所の人たちを見てみると……なんとオッサン臭いことでしょう。なんと負け犬くさいことでしょう。
急速に、若者らしい無軌道さのようなものを放棄しはじめ、
老獪に立ち回るのではなく長いものに巻かれることに慣れ、
目はダランと死んだ魚のようになり、人生設計の話をし、
新しいことを試みず、試みたとしてもただの手慰みで、
夢を語らず、自分の可能性を限定し、
年齢を意識して若い人たちに溶け込まなくなる。
そういうのをイヤがる人でも、余りにも周囲がそうだから、そうならないとおかしいんじゃないか?と思って、徐々にそうなっていく。
そして自分を騙し騙し生きていく。
僕だって例外ではないのかもしれない。
でも、落ち着いて考えてみたら、本当は年齢なんて関係ないですよね?
特にこれだけ寿命が延びていると、ますます関係ないですよね?
27歳からアーティストを目指しちゃいけないなんて、誰も言ってないですよね?
35歳までに結婚しないといけないなんて、つまらないですよね?
45歳から新しい人生をはじめても成功確率超低いなんて、自分でそう思ってるだけですよね?
それは確かにそうなんだけど……でも、圧力は強力ですよね。
これは日本だけの話ではないと思います。だってブリジット・ジョーンズの日記は「33歳なのに結婚していない自分が両親から責められる」シーンからはじまりますから。
だからこそ。ヤマダタツヤくんのような生き方は、圧力に苦しんでいる人にとっては、希望だと思うのです。
思えば、彼のデザイナー歴も、この思想を踏襲しています。
彼によると「前の仕事で、たまたまAdobe Illustlatorを使うことになって、まあまあ自信ついたから」ということらしいです。
デザイン学校とか行ってないのです。どこかのデザイン事務所で修行したわけでもないのです。
何かやるにはまず資格を、とか言ってる人に噛んで聞かせてやりたい話です。
僕の周囲には、ヤマダタツヤくんのような人がたくさんいます。「刺激ビリビリ」の石館光太郎しかり、「脳の右側で描け」の斉藤先生しかり。Drum'n'BassのDJの倉島'Dx'しかり。ダンサーのKANGOさんたちしかり。そして僕の相方しかり。
「○歳になったらこうなってなきゃ。これはやれない」という意見は、僕らを萎縮させ、可能性をついばんでいきます。
「あれこれ気にしないでとにかく飛べ、そうすればあなたを包み込むネットが現れる」という思想は、僕らに希望を与え、可能性を開いてくれます。たとえ僕らが何歳で、今何をしていようとも。
人生は、可能性を限定しないで、心の赴くままの方向を目指したほうが、きっと楽しくて充実できるはずです。
周囲の人や常識に合わせて生きるより、ずっと。
もちろん、成功確率もあがるはずです。
あなたは今、何歳で、そしてこれから何をやりたいですか?