これは、基本的には自分へのメモ用に書く記事です。忘れないようにしようと思って。
でも、もしかしていつか誰かの役に立つかもしれないので、
ここに書きとめておくことにします。
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今回の旅で一番強烈に印象に残ったのは、
熊野本宮大社と大斎原(おおゆのはら)に行ったときのことでした。
たぶん僕は、この体験をするために、今回熊野へ来たんだろうな、と思えるくらい。
熊野本宮大社へは、僕は、1泊2日で歩いて行きました。
紀伊田辺辺りから本宮への道は、「中辺路(なかへち)」と呼ばれています。
この中辺路は、その昔、「熊野の聖域」と捉えられていました。
熊野は「浄土」つまりあの世であり、
本宮へ参るということは、儀礼的に、一度浄土への道を辿って(つまり死んで)再び現世へ戻ってくる、という意味があったそうです。
昔は、本宮へお参りする人は、ここで修験道者に教えてもらった、
食べ物や立ち振る舞い方、話し方などを守って、残りの道を歩かなくてはいけませんでした。
(詳しくはこちらをご覧下さい)
つまり中辺路は「祈りの道」。
そうして長々と歩いて、ようやくたどり着く本宮。
上皇でさえ泣きながら拝むほど、感動的だったそうです。
だから道ごと世界遺産に登録されているんですね。
中辺路は、ハイキングと本格的な登山の、ちょうど中間くらいの険しさだとのこと。
僕も当時の気持ちを少しでも追体験すべく、歩いて行くことにしました。
実際の中辺路は、峠が多く、アップダウンが多いルートでした。
道幅は狭く、シーズンオフだったで、歩いているのは僕1人だけでした。
下手すると100mおきくらいに生態系(木や草、コケの種類)が変わるほど、
複雑で多様な自然でした。とてもリラックスできる、美しい景色でした。
1日目はのんびりと10時から18時まで歩いて、
とがの木茶屋という民宿に泊まりました。
街の生活ではまず味わえないような、虫の声しか聞こえない静けさの中、
1人で、囲炉裏で鹿肉の刺身などを食べて、とても贅沢なひとときを過ごしました。
もちろんすぐそばにある野中の清水もペットボトルに注ぎました。
2日目は、8時ごろに出発しました。
途中までは、とてもいい天気で、誰もいなく、道も快適でした。
見渡す限り山々と木々しかないような、ものすごい山奥を歩いているときなどは、ひしひしと、
「ああ、すっかり人間界から遠ざかってしまった。この辺でヒトは僕1人だなあ」
ということを感じました。
でもそれは怖いものではなく、
むしろ周囲の草木や虫、動物たちと同等になったような、
親近感が湧くような、そんな気分でした。
こんな優しい自然の中を歩いていれば、
誰だってアニミズムに気づくだろうし、
本宮に着くころには、すっかり静粛な気持ちになっているだろうってもんです。
ところが……
2日目は、途中から、激しい雨が降ってきました。
待ってればやむかと、しばらく雨宿りをしていたのですが、
一向に雨は弱まる気配を見せません。
仕方ないので、雨の中、歩き出しました。
雨の中辺路は危険です。
坂が多く、石畳も多いので、滑りやすくなっています。
周囲に人の気配は全くなく、もしこんなところで怪我して動けなくなったら、
助けを呼べずに死んでしまうかもしれません。
だから、慎重に歩を進めました。
慎重に歩いているので、どうしても歩みが遅くなります。
刻々と、日没が迫ってきました。
こんな、誰も知り合いのいない、大雨の山道で日没になったら、かなり凹みます。
どんな危険があるのかすらよく判りません。そういえば先日、この辺で熊が出たとか。
歩いている途中、急に携帯が壊れました。
あらゆる操作を受け付けず、ひたすらバイブが振動し続けています。
これで、電波があるところで、泊まる予定の民宿なり警察なりに電話してヘルプしてもらうこともできなくなりました。
大雨は続いていて、あらゆるところがズブ濡れです。
もう6時間くらい注意しながら歩き続けていて、疲れました。
日はどんどん暮れていきます。
ふと、民家のある一帯に出ました。近くにバス停が見えます。
バスは3時間に1本くらいしかないみたいですが、どうやら最終はまだなようです。
どうしよう。このまま今日はバスに乗って民宿まで行こうか。
それとも気合を入れて本宮まで歩こうか。
僕は後者を選びました。歩いて本宮まで行かないと、この旅の意味がないではないか、と感じたのです(※ 山は危険ですので、くれぐれも何か理由がない限りは、僕と同じ行動は起こさぬようお願いします)。
バス停を通り過ぎ、再び山の中に入っていきます。
歩き続けます。もう8~9時間は歩いています。
かなり日は暮れました。
疲れました。
そして……とうとう本宮にたどり着きました。
熊野三山の中心で、全国に3000社以上ある熊野神社の総本宮。
熊野神社のシンボルである「3本足のカラス」八咫烏(やたがらす)のマークが、目を引きます。
そういえば八咫烏は、サッカー日本代表のシンボルマークにもなっていますね。
本宮本体は、伊勢神社と同じように、古色蒼然とした、威厳のある建物でした。
屋根は檜皮葺きといって、ヒノキの木の皮を何重にも重ねたものだとか。
大雨の中、いるのは僕1人だけでした。
さて、これからどうしよう。
民宿までは、大日越といって険しい峠を1時間かけて超えるか、または街灯のない林道を延々と歩かなくてはいけません。
どっちも、道はよく判っていません。あと10分くらいで日はすっかり暮れるでしょうから、道を間違える可能性も大いにあります。
とりあえず、バスがまだあるか調べないと、可能性は低いけど。
いざとなったらどこか家を見つけて転がり込んで、民宿に電話して、車で迎えに来てもらうか。
それともあとひとふんばりして、何時間かかろうとも民宿まで歩こうか。
神社の軒下を借りて、雨の中、野宿しようか。
……と、急に、浴衣姿の老夫婦が本宮にやってきました。
この天気の中、不思議な時間に、不思議な格好。
何か助けになるかもしれないと思い、話しかけました。
すると……
……なんと……
この老夫婦は、僕と同じ民宿「湯の谷荘」の宿泊客だったことが、発覚したのです!
たまたまフラッと、レンタカーで民宿から本宮まで来たとのこと。
まったくもって驚きました。まさかハイヤーが迎えに来ているなんて。
こんな幸運が訪れるとは、夢にも思いませんでした。
しかも中辺路を通って本宮へ詣でた直後に。何やら神がかっています。
一体全体、どういうことなのでしょうか!?
老夫婦から見たストーリーは、以下のようなものでした。
「温泉に入ろうとしたら、他の人が先に入ってた。で時間が余ってしょうがないので、ちょろっと車で本宮を見に来た。2~3分だけ見て帰る予定だった」
温泉に入っていたのは、実は民宿で落ち合う約束をしていた相方でした。相方から見たストーリーは、以下の通りです。
「雨で寒かったので一刻も早く温まろうと、民宿についてすぐに温泉に入った」
僕から見たストーリーは、前述したとおりです。
これらの偶然が全て重なって、ほんの数分というタイミングで、僕は、
「頼んでもいないハイヤーが不思議にも迎えに来た」
という状況と出会えたのです。
このことは、単に民宿に行けてラッキーという以上に、僕に深い影響を与えました。
影響、というのは、言葉でいうのは難しいですが、つまりこういうことです。
老夫婦がたまたま車で本宮に来る、などということは、僕には全く予想のできないことでした。
しかし一方、僕は本宮についてからどうしよう、なんとか手を打たなくちゃ、と、本気で心配していました。
手の打ちようは前述の通り、いくつか考えました。
しかし、土地勘もないし知り合いもいないし、携帯も壊れてしまっている状況では、
打てる手はそう多くはありませんでした。
夕方ごろバス停をスルーしたとき、何か本宮に着いた後の計画があるわけではありませんでした。
完全に無謀な行動でした。
僕は老夫婦が本宮に来るタイミングに自分の行動を合わせることはできませんでした。
ただその時その時で、早歩きしたり携帯を直そうと格闘して諦めたり、ベストを尽くしていただけでした。
しかし結果としては、僕の想像を超えるような形で、僕の望んだとおりのことが実現しました。
僕はこの経験を経て、2つの大きなことを文字通り体で理解しました。
- いったい何が幸いするか判らない
- だから必要以上に思い悩まない
休憩所Aで少し休んだのも、休憩所Bはスルーしたのも、全ての判断が必要なことでした。
でも繰り返しますが、それぞれの行動をしているときは、それが後に及ぼす影響なんて、判りません。
「必要以上に思い悩まなくていい」というのは、そういう意味です。
「今の僕の判断は正しかったのだろうか、間違っていたのだろうか」
ということは、結局は僕には判らないことです。
人にはコントロールできることとコントロールできないことがあり、
できることにのみ集中していれば、それ良いのだと思いました。
「跳べ、そうすれば、あなたを包み込むネットが現れる」
「人間万事塞翁が馬」
ということなんだと思います。
そしてそのネットは、跳ぶ前には想像もつかないような色と形をしているものなのだ、と。
だから考えても無駄だ、と。
以上はよく言われることで、頭では理解していましたが、
今回、強制的なまでに体に染み込んでいきました。
思えば、僕はどちらかというと心配性で、
いつも事態が悪化したときのために、保険を打って生きていました。
もちろん保険を打つことは良いことですが、
そのせいで、本来起こせるはずだった言動を起こせなかったのも、事実です。
そして、その背後に、保険を打とうがどうしようが、
どうしてもぬぐえない不安があったことも、事実です。
そんな自分に、この事件は、「ネットが現ることを信じて、跳ぶ」力をつけてくれました。
そしてそれは、今の僕には必要なことのように、感じました。
僕は老夫婦にお願いして、車で湯の谷荘まで送ってもらいました。
湯の谷荘は、清潔で、温泉も気持ちよく、料理も豪華で、
とても快適なところでした。
そして翌日。昨日の大雨がウソのような快晴です。
快適な気分で、熊野本宮大社に行きました。
晴れた日の中でも熊野本宮大社は、
奈良時代辺りからタイムスリップしてきたような、古い威厳を漂わせていました。
とても空気が澄んでいます。
観光客はたくさんいましたが、まるで気にならないほど、特別な気配に満ちていました。
本宮をお参りした後は、大斎原(おおゆのはら)に足を伸ばしました。
大斎原は、野川・音無川・岩田川の3つの川の合流点にある、中洲です。
太古の昔より聖地とあがめられていたそうで、昔、本宮はこの大斎原にありました。
明治の大洪水で本宮を今の場所に移したのですが、大斎原は、
「又と得がたい聖地」(案内書きより)
とのことで、簡単な祠だけを用意して、そのまま保護されています。
大斎原は……ここは、すごいところでした。
日本一といわれている大鳥居を越えると、あとは林と、だだっ広い空間しかありません。
しかし……実際行かないと判らないと思いますが、
本当に清々しく、気持ちよい気配に満ちています。
大斎原だけではなく、周囲の川や川原も、何時間でもいたくなるほど、気持ちの良い場所です。
誰が来ても、ここは聖地だと思うでしょう。
何も無いけど、聖地。神々の気配が濃厚な場所。
誤解を恐れず素直に感想を言えば、このような場所がこの地球にあること自体がスペシャルなことだと、感じました。
ちょっと普段と違う、照れくさい記事ですが、以上です。
中辺路の自然と、雨の熊野本宮大社、晴れた日の下の大斎原を、僕は決して忘れることはないでしょう。
ずっとやりたかったことを、やりなさい。
ジュリア キャメロン