先日ビル・ゲイツというIT会の巨人がマイクロソフトを退職しましたが、ニフティでも、今日、ひとつの大きな時代が幕を閉じます。
NIFTY-Serveの立ち上げメンバーの1人、本名信雄(「本名」部分は「ほんな」、と読みます)さんが退社されるのです。
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本名さんは1986年、まだ日本にパソコン同士で通信するという概念すらなかったころに、NIFTY-Serveというパソコン通信サービスをスタートさせ、ネットの認知と普及に尽力してきました。
彼は商社マンでありながら、ネットワークに関して豊富な技術的知識を持っていました。それをフル活用して、あるときは仕事とは関係ない卸問屋まがいのことをして社員の給料を稼いだり、あるいは手弁当で社内ネットワークを組み上げ、急激に大きくなる会社をギリギリのところで支えたりしてきました。
本名さんは、ニフティが富士通100%子会社になる前の、あのメーカーと商社がクロスオーバーした独特な雰囲気を作り出した立役者の1人です。
今はNIFTY-Serveもフォーラムもないですが、当時あのパソコン通信上で、ネット上のコミュニティという未来体験を通して、人生が変わったり、生涯の友や伴侶を得たり、何物にも代えがたいめずらしい経験をした人は、大勢いるのではないでしょうか?
ニフティというのは社員をあまり外部にプレゼンしない会社ですが、本名さんは「教科書に載らない日本のネットの歴史」に、まるまる1章割いて紹介されてもよいくらいの重要人物だと思います。
また、本名さんは僕の恩師でもあります。本人がどう思ってるかはわからないですがw
僕は社会人1年目に、当時本名さんが部長をしていた、メンバーサービス部というカスタマーサポートの部署に配属されました。
初日に先輩社員の方に「これがウチの部長の本名さんです」と紹介されたときのことを、今でも鮮やかに思い出すことができます。
紹介された本名さんは、机の下にもぐりこんで、お尻をこちらに向けていました。
床から机に回線を引き回す土方作業をしていたんです。チノパンを履いています。IT業界なんてまだなかったし、デザイナーなどのクリエイター系以外の職種は全員スーツを着ていた、そんな時代のことです。
本名さんはしばらく机の下でモゾモゾした後、ようやく頭を抜いて、立ち上がり、
「こんにちは。本名です」
と深いバリトンの声で挨拶しました。その笑顔は子供のようにあどけなく、そして上はYシャツではなくTシャツで、真ん中にデカデカと、
FREEDOM
と書かれていたのです。
その瞬間、僕は電撃が走ったように、ひとつの、自分にとってはとても大事なことを理解しました。
それは、