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2007年8 月18日 (土)

Link: 『ノベログコンバーター』を公開しました! : akiyan.com.

既存のブログがまるでサウンドノベルやビジュアルノベルのように変換されます。

Link: asahi.com:日中の好感度、双方で上昇 NPOなど調査 - 国際.

 中国に対していい印象を持っている日本人は昨年同時期の約12%から約33%に、日本にいい印象を抱いている中国人が約15%から約24%に、それぞれ増えた。最近は反日デモなど両国関係を大きく損なう出来事が少なかったことや、安倍首相の就任で相互訪問が回復したことなどが背景にあるようだ。

Link: カトラー:katolerのマーケティング言論: 安倍晋三の敗北と小沢一郎のサブマリン戦略.

そのことは、夕張市が破綻した顛末を見れば、明らかだろう。道路工事やレジャーランド開発に湯水のように補助金、税金が注ぎこまれた挙げ句に、全てが灰燼に帰した。老人ばかりになった過疎地の一人区の町や村に一度でも立って見れば、人っ子ひとり歩いていないような土地に対してどんなに投資を重ねたとしても、文字通りドブにカネを捨てるようなものであることが誰にだってわかるはずだ。

<略>

100世帯しか住民がいない村に10億円かけて無駄な道路や将来にわたり金食い虫になる公共施設を建設するよりも、年間50万円の真水の所得補償を世帯ごとに行えば、10年間にわたって支給しても、半分の支出ですむ。
その意味で、小沢一郎が提唱した農家に対する所得補償とは、富の分配ルールと手法の転換の先取りを意味するものといえるだろう。それに対して安倍自民党は、「カメラ目線」に象徴されるように、憲法改正、戦後レジーム脱却といった東京のマスコミばかりがネタにしやすい政策やビジョン提示には熱心だったが、一人区という足下に打ち込まれた楔や農村に広がっていた離反ムードに無頓着であり、あまりに無策であった。


Link: カトラー:katolerのマーケティング言論: 安倍晋三の敗北と小沢一郎のサブマリン戦略.

選挙の公示前から、小沢一郎が徹底して行っていたのが、一人区の遊説である。小沢一郎よりも「メディア受けする」と勝手に思いこんで、「カメラ目線」を工夫して、「私を選ぶのか、小沢さんを選ぶのか」とテレビカメラに向かって絶叫していた安倍を尻目に、小沢は、中央マスコミの視線の届かない過疎の村のスーパーの店先でミカン箱の上に立って辻説法を繰り返していた。

Link: 原爆で得した日本人.

 また日本は国際社会で米国から原爆を投下されたという理由から第二次大戦の「被害国民」として通用しただけでなく、冷戦時代には核戦争に対する戒めとして後光がさしていたのではなかったのか。このようなイメージは「原爆カード」として効いていて、日本にとって損なことではなかった。とすると、後遺症で苦しむ被爆者がいるいっぽうで、大多数の日本人は「被爆国民」として得したことになる。

 かなり前から国際社会で日本は第二次大戦の「加害国民」として非難されることが多い。これは「原爆カード」が効かなくなりつつあることと無関係でない。問題は、ミニ・ニュークの開発など冷戦時代とくらべて核使用に対する心理的ハードルが国際社会の中でどんどん低くなる点である。

 日本の「原水爆禁止運動」は「被爆国民」というステータスに安住しているだけでは国際社会でまじめにうけとめてもらえなくなる日がいつか来るのではないのだろうか。


Link: 原爆で得した日本人.

《、、、突然誰か発狂したのではないかと思われるほど大きな声で「このまま敗けられるものか」と怒鳴った。それに続いて矢つぎばやに「今さら敗けるとは卑怯だ」「人をだますにもほどがある」「何のために今まで辛抱したか」「これで死んだものが成仏できるか」いろんな表現で鬱憤が炸裂する。病院は上も下も喧々囂々全く処置なき興奮状態に陥った。日ごろ平和論者であった者も、戦争に厭ききっていた者も、すべて被爆この方俄然豹変して徹底的抗戦論者になっている。そこへ降伏ときたのだからおさまるはずがない。すべてを失い裸一貫。これ以上なくなることはない。破れかれだ》

<略>

《広島市が一瞬の間にかき消え燃えただれて無に落ちた時から私は好戦的になった。かならずしも好きではなかった戦争を、六日のあの日から、どうしても続けなくてはならないと思った。やめてはならぬと思った》(昭和20年8月30日付き朝日新聞)


Link: “偉大なる楽天家”麻生次期幹事長 中東で心情吐露|政局|政治|Sankei WEB.

 麻生氏が「偉大なる楽天家」といわれるのは、どんな逆境でも常に前向きにモノを考えるからだ。これは故吉田茂元首相の孫で、麻生財閥のトップ、元五輪選手(クレー射撃)という華麗な経歴ながら、政治家として長く不遇の道を歩んできたことにも起因する。

 旧宮沢派(宏池会)の跡目をめぐり、加藤紘一元幹事長と対立し、派閥を追われた。旧宮沢・旧竹下派連合ににらまれ、初入閣は同期で最後尾。若手・中堅に相談を持ちかけられると「俺がうまい“冷や飯”の食い方を教えてやる」と応じるのはそのためだ。

 そんな麻生氏の転機となったのは、平成13年の総裁選出馬だった。小泉純一郎前首相は麻生氏を政調会長、総務相、外相と重用。昨年9月の総裁選に出馬し、安倍首相に敗れたが、その歯に衣着せぬ発言がインターネットなどを通じて「オタク」の間で人気に火が付いた。今は「もっとも演説に人が集まる政治家」の1人になった。

 しかし、麻生氏の持ち味は逆に、加藤氏や野中広務元幹事長、山崎拓元副総裁ら多くの政敵を生んだ。古賀誠元幹事長との溝も深い。

 興に乗ると失言も飛び出す。参院選中も「アルツハイマー」発言で陳謝する騒ぎを起こした。自民党内には「楽天的すぎて脇が甘い」と厳しい評価も少なくない。


Link: 津久井進の弁護士ノート 棄民政策というのはこういうこと.

◆国というのは、本来、国民の幸せを作るもの ◆ところが国そのものが自己目的化してしまうことがある ◆戦争は、その最たるものだ ◆結果として、国民が多大な犠牲を被った

Link: 津久井進の弁護士ノート 棄民政策というのはこういうこと.

 元日本兵だった方が、国(政府)から棄てられた、という問題です。  いわゆる「中国残留日本兵」の問題です。

2007年8 月17日 (金)

Link: レコーディング・ダイエットのススメ: スタイル&顔の遍歴.

吉祥寺のFeelというカットハウスでイケメンの美容師さんに「メガネ、かけたら似合いますよ」と言われて、生まれて初めて可能性を考えた。

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